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全國(guó)翻譯資格證書(shū)第9頁(yè)共9頁(yè)全國(guó)翻譯資格證書(shū)日語(yǔ)三級(jí)筆譯綜合能力考試(2005年)一、語(yǔ)彙(10點(diǎn))A~Dの選択肢から正しいものを一つ選んで、解答用紙に記號(hào)で記入しなさい。(1點(diǎn)×10=10點(diǎn))(1)人を動(dòng)かすのは、やる気、行動(dòng)力、そしてプラスの生き方です。A.考慮 B.思考 C.促進(jìn) D.想像(2)インターネットから外國(guó)為替のが調(diào)べられる。A.相場(chǎng) B.目途 C.見(jiàn)本 D.総合(3)組織運(yùn)営の方針は、高い能力とを有する人材を育成.確保することである。A.認(rèn)識(shí) B.常識(shí) C.面識(shí) D.見(jiàn)識(shí)(4)きちんとと向かってあいさつできない若者が増えている。A.面 B.顔 C.頭 D.前(5)窓を開(kāi)けると、山の空気が入ってきた。A.すばやい B.うっとうしい C.すがすがしい D.めざましい(6)3年経った今も問(wèn)題解決のが立っていない。A.めんもく B.めど C.げんいん D.めつき(7)20年も使っていてですが、私には大切な帽子なのです。A.のろのろ B.おろおろ C.ごろごろ D.ぼろぼろ(8)粽についてのが伝えられている。A.ジレンマ B.チャレンジ C.エピソード D.コメント(9)逃したは大きい。A.魚(yú) B.鳥(niǎo) C.馬 D.船(10)三人寄れば文殊の。A.才知 B.知性 C.知恵 D.知識(shí)二、文法(40點(diǎn))A~Dの選択肢から正しいものを一つ選んで、解答用紙に記號(hào)で記入しなさい。(1點(diǎn)×40=40點(diǎn))(11)電車や駅で、人目抱き合ったりキスしたりするカップルが激増している。A.もしらず B.もかまわず C.もみずに D.もかかわらず(12)仕事をし全國(guó)を旅できるから、ガイドになりたいと思っていた。A.ては B.たまま C.てさえ D.ながら(13)夢(mèng)が実現(xiàn)できるかどうかは、本人の努力である。A.きり B.だらけ C.しだい D.ながら(14)醫(yī)療に関する資格を有しない者による醫(yī)業(yè)は、法律禁止されている。A.により B.につけ C.にわたり D.にかぎり(15)「あのとき、あれをしていたら」など、いくら、何十時(shí)間考えた、去った時(shí)は戻らぬ。A.とも B.とか C.とは D.とて(16)時(shí)間が許す、このまま議論を続けたいと思います。A.ばかり B.かぎり C.ばかりに D.かぎりに(17)將來(lái)のことなんて予測(cè)できる。A.ことだ B.ものだ C.ことか D.ものか(18)約束した守るべきだ。A.からなると B.からすると C.からには D.からといって(19)高層階ならではの絶景を眺め多彩なバイキングを満?jiǎn)摔筏?。A.つつ B.最中 C.次第 D.一方(20)雨がやみ、青空が見(jiàn)えてきた、また大粒の雨が降り出した。A.かと思ったら B.ものだから C.かのうちに D.ばかりに(21)最近、ちょっと疲れなので、休みをとることにした。A.むき B.がち C.だらけ D.ぎみ(22)集中力にかけては。A.けっこう遅いほうである B.誰(shuí)にも負(fù)けない自信があるC.ほとんどいつも同じである D.まあまあ普通だと思う(23)私が日本へ留學(xué)したのはもちろん勉強(qiáng)のためだ。なんだと言うのだろうか。A.そうであって B.そうでなくて C.そうといったら D.そういえば(24)この店は味は、値段が高すぎる。A.おろか B.もとより C.ともかく D.のみならず(25)お互いのためにも、今日お?jiǎng)eれしましょう.A.かぎりに B.かぎりで C.ぬけに D.ぬきに(26)中國(guó)政府ならびに経済界そして日本大使館との協(xié)力を得ながら「日中友好年2005」を成功させる、最大限の努力をして參る所存であります.A.ゆえ B.べく C.まじく D.らしく(27)私は買(mǎi)い物依存癥のがあって洋服代がかさんでしょうがない。A.嫌い B.恐れ C.気味 D.風(fēng)(28)その知らせを聞いた時(shí)、彼はまるでばかりに驚いた。A.飛び上がる B.飛び上がらん C.飛び上がった D.飛び上がらず(29)あの人は怒鳴るだけ、暴力までふるったんです。A.はともかく B.ならでは C.ならまだしも D.もさることながら(30)うちの課長(zhǎng)、あれこれと會(huì)社の文句を言って、最後は部下が悪いと怒り出すしまつだ。A.ときたら B.と言ったら C.とくると D.と言うと(31)理由の、ご返金.再発行は致しかねますのでご了承ください。A.いかんせん B.いかんによって C.いかんによると D.いかんによらず(32)「大丈夫だ」と口では言いつつ、彼女の表情は。A.暗くなかった B.暗かった C.明るくなった D.普通だった(33)今日はお散歩、駅前のデパートにお買(mǎi)い物に行きました。A.なり B.ごとく C.ならでは D.がてら(34)努力の見(jiàn)事ロースクールに合格した。A.だけあって B.かいがあって C.かいもなく D.どころか(35)子供のした、なにとぞお許しください。A.こととて B.ことから C.ことには D.こととあって(36)ただ今の、受賞者からのごあいさつまして、本日の祝賀會(huì)は閉會(huì)とさせていただきます。A.にいたり B.をかわきりにし C.をもち D.にひきかえ(37)いままでにいったい何人にお世話になった。A.ことだろう B.わけだろう C.ことだ D.わけだ(38)このまま病気が悪化してしまうと、仕事人生も狂ってしまう心配がある。A.ところが B.ところで C.ところ D.どころか(39)彼は結(jié)婚してからというもの、けっして殘業(yè)。A.しようと思う B.しないつもりだ C.しようとする D.しようとはしない(40)困った予算は少々オーバーしそうだ。A.ことに B.ことか C.こととて D.ことさえ(41)彼は周囲の冷たい視線を、自らの信念を貫き、ついに研究を完成させたのだった。A.ものともせず B.ものにせず C.ものにして D.ものではなく(42)ロシアに勝つこと、中國(guó)バレーボールチームのメダル獲得はありえない。A.なくとも B.なくしては C.ないまでも D.ないでは(43)最近は疲れがたまっているせいか、どうも朝が遅くです。A.なりっぽい B.なりそう C.なりぎみ D.なりがち(44)親に心配をして電話では努めて明るい聲で話した。A.かけず B.かけつつ C.かけまいと D.かけようと(45)いよいよ今日は、あの有名な祭りの日だ。7年ぶり、村は朝から見(jiàn)物客でいっぱいだ。A.でありながら B.とあって C.であれば D.とすれば(46)彼女は大きな悩みを抱えているはずなのに、表面上は何の。A.変化があった B.変化もなかった C.変化があるだろう D.変化もあるまい(47)最近は緊張が続いていて、薬を飲まない、夜眠れなくなってしまった。A.ことに B.ことなく C.ことには D.ことだから(48)日本は資源が乏しいが、加工貿(mào)易に力を入れてきた。A.ものの B.からこそ C.ゆえに D.最後(49)いつもニコニコしている先生のことだから、さぞ優(yōu)しい先生だろうと思いきや。A.思ったとおりの先生だった B.全く反対の先生だったC.やはりやさしい先生だった D.とてもまじめな先生だった(50)便利なインターネットも、使いようによっては。A.子供の教育に役立つだろう B.女性の社會(huì)進(jìn)出を助けるだろうC.犯罪の手段に利用される場(chǎng)合もある D.図書(shū)館に代わる場(chǎng)合もある三、読解(50點(diǎn))次の文章を読んで、(51)~(75)の問(wèn)いに答えなさい。そしてA~Dの選択肢から正しいものを一つ選んで、解答用紙に記號(hào)で記入しなさい。(2點(diǎn)×25=50點(diǎn))文章1今年の海上保安白書(shū)は「海がまるでごみ捨て場(chǎng)になっている」と警告する。油や工場(chǎng)廃水に加えて、このところ目立ってきたのは廃棄物による汚染(51)だ。昨年20年前の2倍にのぼった。なかでも産業(yè)廃棄物の不法投棄が増えた。建築資材の上を殘土で覆ってごまかし、こっそり運(yùn)ぶなど、手口が巧妙になってきた。(51)「廃棄物による汚染」の例として、本文と関係ないものを選びなさい。A.産業(yè)廃棄物 B.家庭用ゴミ C.プラスチック D.発泡スチロール文章2人間と動(dòng)物、動(dòng)物と機(jī)械は、それぞれ決定的に異なる何かがあるのだろうか。それとも、その違いは、距離の差に過(guò)ぎないのだろうか。ここでは、たとえばその中の二つ、動(dòng)物と機(jī)械の差を考えてみよう。たしかに機(jī)械は無(wú)生物であり、動(dòng)物は生物の一部にほかならない。()(52)は対立する概念なので、機(jī)械と生物はまったく異なるものということになる。()(53)、たとえば現(xiàn)代の自動(dòng)車工場(chǎng)では、日々、ロボットを使って自動(dòng)車が製造されている。この様子は、極端に言えば、まるでロボットが自動(dòng)車をつくり続け、人間の労働者は、あたかもそのロボットの補(bǔ)佐役のようであるとも言える。そして、この工場(chǎng)のシステム全體を見(jiàn)ると、それが一つの生き物のようである。これは、機(jī)械が機(jī)械を生んでいる、動(dòng)物で言えば「世代交代」をしているかのように思える光景だ(54)?!甘来淮工?、「自己増殖」と並んで、生物と無(wú)生物を分ける、生物の決定的な特徴とされている。だが、上記のように、今日のロボットや自動(dòng)車は機(jī)械であっても、またその巨大な集積であるFA工場(chǎng)は機(jī)械システムであっても、「世代交代」(55)という機(jī)能をもっており、少なくともその面では、動(dòng)物もしくは、動(dòng)物の種の姿に近いと考えることができる。そう考えると、生物とは対立するはずの機(jī)械も、その違い(56)は単に距離の差に過(guò)ぎないと言える。(52)ここの()に入れるのにもっとも適當(dāng)なものはどれか。A.生物と動(dòng)物 B.生物と人間 C.無(wú)生物と生物 D.無(wú)生物と機(jī)械(53)ここの()に入れるのにもっとも適當(dāng)なものはどれか。A.だが B.したがって C.おまけに D.ようするに(54)筆者は自動(dòng)車工場(chǎng)における人間の役割はどのようだと言っているか。A.ロボットではできないような作業(yè)をしている。B.ロボットが自動(dòng)車をうまく作るのを助けている。C.ロボットが自動(dòng)車を作るのを見(jiàn)ているだけである。D.ロボットに指示を與え、うまく使って、自動(dòng)車を作っている(55)「『世代交代』という機(jī)能をもっており」とあるが、その「機(jī)能」とは何か。A.ロボットが自動(dòng)車を作り出していることB.人間が新しい機(jī)械を作り出していることC.同じ種類の自動(dòng)車がどんどん作られていることD.人間がロボットを使って機(jī)械を製造していること(56)「その違い」の指す內(nèi)容はどれか。A.ロボットと自動(dòng)車の違い B.動(dòng)物と動(dòng)物の種の違いC.動(dòng)物と機(jī)械の違い D.動(dòng)物と生物の違い文章3(63)人生はたえざる選択の連続である――これはおそらく文句のつけようがない定義だ?!肝?、思う。故に我あり」を?qū)g生活に置きかえると、「我、選択す。故に我あり」ということだろう。(中略)現(xiàn)代がことさらあらたまって選択の時(shí)代と騒がれるのは、ニュー.メディアなどの導(dǎo)入により生活の表面的選択肢が増えたからではない。経済神話と神妙な精神主義に無(wú)抵抗であったこれまでの「會(huì)社人間」たちの世代が、だらしなくも、自ら選択を下すことを忘れていたからだ。狼は選択するが、ヒツジの群れは選択しない。いったん群れの一員として馴致されると、これはこれで気楽な境遇といっていい。羊飼いに管理され、番犬に導(dǎo)かれるままに動(dòng)いていれば、生命の危険はない。飢えることもない。でも、ヒツジにだって多少の自尊心はある。本當(dāng)は完壁に管理され、判斷を放棄し、選択の勇気も持っていないのに、そうではない、と思いたい(57)。となると、自らを暗示にかけるか、いわば「疑似選択」を行うことによって、かろうじての自己の存在証明を求める以外ない。暗示は、組織と自らを一體化しようという心の動(dòng)きである。疑似選択はいくらでもできる?!赣窑饲臁工趣いΨ蚊瞍四妞椁Δ栅辘颏筏皮沥绀盲茸螭刈撙盲皮撙毪韦饯欷馈K沃匍gより少し早く(あるいは遅く)走る自由がそれだ。あてがわれた餌のうち、これを食べ、あれは食べない、という選択もそれだ。しかし、実際にはこんな自由や選択にはたいした意味がない。あくまで主人が許容した範(fàn)囲內(nèi)での自由であり、選択であるのだから。人生は選択である、といったが、本當(dāng)をいうと実生活において私たちは多くの場(chǎng)合、この種の選択をさも仰々しげにしているに過(guò)ぎない。選択ごっこ、といっていい(58)。たとえば、どの學(xué)校に入るか、どこへ就職するか――。ごっこの中でもこの辺は案外深刻な選択だが、もともと進(jìn)學(xué)、就職というだれが決めたかわからない人生コースをそのまま受け入れ、そのコース內(nèi)での選択であるから、どうころんでもたいした違いはない(どうころんでも自己を見(jiàn)失わぬ、というだけ強(qiáng)固な自己を持っていれば、の話であるが)。また、休日に山へ行くか海へ行くか、あの馬に賭けるかこの馬に賭けるか、トヨタを買(mǎi)うかニッサンを買(mǎi)うか――この類の大小無(wú)數(shù)の選択に直面しながら私たちは日々を生きているわけだが、結(jié)局のところはこれらはみんな()(59)。選択を楽しむ、という程度の意味しかあるまい。今、ふりかえって、「選択を誤ったとき」の切実な思い出が一つも浮かんでこないのは、私自身も「人間の條件」を忘れたヒツジの群れの一員(60)として、ときにぶつくさ文句をいいながらも結(jié)局は太平楽にこの世を生きてきたからにほかなるまい。となると、人生は選択の連続である、という當(dāng)初の定義もあやしくなってきた。むしろ、選択ごっこの連続であるといい直すべきか。やはりそうは思わない(61)。たとえ、それが日常生活の中の小さな選択でも、それが何らかの形で自らめざす人生の実現(xiàn)にかかわってくる塀の選択であれば、そのひとつひとつが真剣勝負(fù)と思いたい。少なくとも自己との対話においては、それだけ気を張って毎日を生きたい。個(gè)々の選択はゆるがせにできぬが、その當(dāng)否はすぐ明らかにはならない、日々の小さな選択の集積の収支決算がいつか徐々に表面化しはじめ、棺に入る直前になって人は「オレは然るべく生きた」あるいは「どうやらオレは選択を誤った」と初めて口にできるのではあるまいか。だから、まあ、とりあえずは小さなことでくよくよするな(62)、ということにもなるのだが――(57)「そうではない、と思いたい」とあるが、どのように思いたいと言っているか。A.自分で判斷できると思いたい。 B.選択肢が増えたと思いたい。C.生命の危険がないと思いたい。 D.飢えることがないと思いたい。(58)「選択ごっこ、といっていい」とあるが、その理由は何か。A.実生活ではどう選択するかの判斷を放棄しているからB.実生活ではどう選択してもたいした違いはないからC.実生活ではどう選択するかを楽しんでいるからD.実生活ではどう選択してもけっして誤らないから(59)ここの()に入れるのにもっとも適當(dāng)なものはどれか。A.誰(shuí)かが選択してくれるものだ B.選択しなくてもいいものだC.非常に重要な選択なのだ D.どうでもいい選択なのだ(60)「ヒツジの群れの一員」とあるが、そのわけはどれか。A.多少の自尊心はあるということ B.今までに選択をしてこなかったということC.生命の危険もなく、飢えることもないこと D.管理され、判斷を放棄しているということ(61)「やはりそうは思わない」とあるが、ここの「そう」が指す內(nèi)容は何か。A.人生は選択の連続であること B.人生の選択を誤ったことC.人生は選択ごっこの連続であること D.人生は無(wú)數(shù)の選択に直面すること(62)「とりあえずは小さなことでくよくよするな」とあるが、筆者がこのように思う理由は何か。A.選択の結(jié)果は死ぬ直前までわからないのだからB.選択を間違えても、結(jié)果は同じだからC.選択はあくまで許容された範(fàn)囲內(nèi)での選択なのだからD.選択は本來(lái)遊びのようなものだから(63)「文章3」は日々の選択について述べているが、筆者の主張は次のどれか。A.重要ではないし、間違えてもたいしたことにはならない遊びのようなものである。B.決定的ではないかもしれないが、それらが集まって人生を形づくるのだから、真剣に行うべきだ。C.選択の一つ一つが人生を左右する非常に重要なものだから、人と相談して慎重に行うべきだ。D.ある範(fàn)囲內(nèi)での選択なのだから、自分で選択しているように思っても、実はそれは誰(shuí)かに管理されているものだ。文章4人間関係は、日常會(huì)話の上に成り立っている。誰(shuí)かと気まずくなるというのは、この日常會(huì)話がうまくいかなくなることである。もし、「気まずくなる」ではなく、「だめになる」というのであれば、それは、「絶交」ということだから、顔を合わせることもないだろう?!笟荬蓼氦胜搿工趣いΔ韦稀ⅲǎ?4)ということである。誰(shuí)かと気まずくなったら、まず、深く考えないで、どうでもいい一言から始めるのがいい(65)。なわとびを跳ぶタイミングを逸しただけなのだから、また、さりげなく、なわとびに參加すればいいのだ。そこで(66)、何か気の利いた一言をと思うと、意識(shí)しすぎて、また、なわとびが跳べなくなる。日常會(huì)話が以前のように交わせるようになったら、どこかで、「」(67)という言葉を贈(zèng)るといい。ほんのささいなことでも感謝するようなことがあったら、「」(67)と言うのだ。それは、何かして貰ったことに対する感謝の気持ちでもあり、こうして、普通に日常會(huì)話ができるようになったこと(なわとびを跳べるようになったこと)への喜びの気持ちだと伝わるはずである。人間関係を悪くする一言というのは、その(68)逆を考えればいい。相手の悪口を言ったとか、心無(wú)いことを言って傷つけたとか、怒らせるようなことをしたというのは論外である。それよりも難しいのは、自分が気づかないうちに、人間関係をこわしてしまった時(shí)である?!袱饯ΔいΔ膜猡辘扦悉胜盲郡韦恕工趣刚`解で」と言い訳しても、人間関係は、ささいなことで悪くなるのだ。例えば、あなたが真剣に話している時(shí)に、相手が日常會(huì)話のように聞き流してしまったらどうだろう?あなたは怒らないまでも、「この人に話した私が馬鹿だった」と思うに違いない。第三者が介在してる場(chǎng)合を別とすれば、人間関係が悪くなる時(shí)というのは、深く考えずに発した一言であることが多い。僕の友人はある人に真剣に話をしている時(shí)に、「どうでもいいじゃない?そんなこと……」と言われて、()(69)と誓ったと言っていた。日常會(huì)話から非日常會(huì)話になった時(shí)(70)、回転が早くなったなわとびに足を引っかける人が多いのである。日常會(huì)話を上手にしたいものである。(64)ここの()に入れるのにもっとも適當(dāng)なものはどれか。A.絶交につながるタイミングを持っているB.絶交につながってしまうC.日常會(huì)話を交わすチャンスがなくなっていくD.日常會(huì)話を交わすくらいのチャンスが殘っている(65)「深く考えないで、どうでもいい一言から始めるのがいい」とあるが、その理由は何か。A.一緒にしなければならない「なわとび」などに、気軽に誘うことができるからB.気軽に話しかければ、相手が真剣に聞いてくれるからC.何を話すか意識(shí)しすぎると話しにくくなるからD.不真面目な態(tài)度のほうが相手をリラックスさせるから(66)「そこで」の指す內(nèi)容として正しいものはどれか。A.日常會(huì)話がうまくいかなくなった時(shí)。B.なわとびを初めて飛べるようになった時(shí)。C.なわとびを飛ぶタイミングに失敗した時(shí)。D.気まずくなった相手と、再び話すチャンスができた時(shí)。(67)ここの両方の()には同じ言葉が入る。もっとも適當(dāng)なものはどれか。A.おめでとう。 B.うれしい。 C.ごめんなさい。 D.ありがとう。(68)「その」が指す內(nèi)容として正しいものはどれか。A.人間関係を修復(fù)するのにさりげない一言が役に立つということB.人間関係を修復(fù)するのに感謝の言葉が欠かせないということC.人間関係を良くするには気の利いた一言が必要だということD.人間関係を良くするには真剣に話すことが大切だということ(69)ここの()に入れるのにもっとも適當(dāng)なものはどれか。A.二度とその人を怒らせるような話はしないB.二度とその人とはまじめな話をしないC.もう一度その人に真剣に話さなければならないD.真剣な言い方をさりげない言い方に変えよう(70)「非日常會(huì)話になった時(shí)」とあるが、それはどんな時(shí)か。A.深く考えずに言葉のキャッチボールをしている時(shí)B.気づかないうちに人間関係をこわしてしまった時(shí)C.相談や悩みなどを言った時(shí)D.二人の會(huì)話に第三者が介在した時(shí)文章5(75)人間はなぜ服を著るのか。寒さを防ぐためだとか、肉體を隠すためだとか、むかしから主張されてきた。たしかに、衣服にそうした役割がないわけではないが、それは衣服の役割のほんの一部にすぎない。それだけなら、流行を気にしたり、デザインを考えたりする必要はないだろう。他方、最近はやりの考え方として、衣服は、かたちや色、素材で構(gòu)成するゲームだという主張がある。こちらのほうは、個(gè)人の自由を過(guò)大評(píng)価して、逆に、社會(huì)規(guī)範(fàn)のもつ()(71)の存在を無(wú)視している。ところが、衣服をめぐる問(wèn)題のむずかしさは、なにを著るかなどという、一見(jiàn)、個(gè)人の自由に屬するようなことがらを、実際には個(gè)人がひとりでは決められなくなっていることに起因する。たとえば、「きちんとした服裝」ということばがある。人前に出るときには恥ずかしくない格好を、などともよく言われる。これなどは衣服の選択がいかに社會(huì)化されているかの証拠であろう。(1)衣服の選択が社會(huì)化されているとは具體的にはどういうことなのか、ここで考えてみたい。ミメティスムという語(yǔ)がある。ある種の動(dòng)物は身を守るために環(huán)境の変化に応じて外見(jiàn)を変化させる。日本語(yǔ)では擬態(tài)と訳されているようだが、保護(hù)色はその代表である。ミメティスムのもうひとつの意味は、無(wú)意識(shí)に他人の真似をしてしまう、ということである。人間の場(chǎng)合、このようなミメティスム行動(dòng)は、おもに衣服を通して行なわれる。()(72)動(dòng)物とちがって、人間の心はかなりわがままにできている。他人と同じでは気がすまないという、反ミメティスム的な衝動(dòng)ももっている。(2)文明社會(huì)のなかで、衣服が、文化となり、経済活動(dòng)の重要な構(gòu)成要素となり、あるいは社會(huì)秩序の不可欠の要素となったのは、人間がミメティスムと反ミメティスムの二つの傾向を併せもっているからである。しかし、この二つの傾向が自由に実現(xiàn)されるようになったのは、じつはそんなに古いことではない。他人と同じ格好をしてもよいし、他人と異なる格好をしてもよい。そのことについてだれからも規(guī)制を受けない。このようにだれもが自分の好きな格好ができる、いわゆる「服裝の自由」は、生活規(guī)範(fàn)(エチケット)の階層化された身分制社會(huì)の枠組みとは相容れないものだったからである。(3)さて、身分制社會(huì)が消滅し服裝の自由が確立されたときに、どんな狀況が出現(xiàn)したのであろうか。各人が気ままな服を著た自由で多様性豊かな光景が出現(xiàn)したのかといえば、まったくそうはならなかった。多くの人々にいつのまにか類似の服裝をさせてしまう、流行という名の新現(xiàn)象が発生したからである。しかも、この新現(xiàn)象は、生理的には必要がないと考えられるものまで買(mǎi)わせてしまう、そういう心理的な強(qiáng)制力を備えた動(dòng)きなのであった。(4)流行現(xiàn)象はすでに江戸時(shí)代からあったとよくいわれる。武家のようにヒエラルキーの尊重が最優(yōu)先された社會(huì)では、服裝の自由はむしろ制限されがちであった。ところが、町人階級(jí)では生地や色などの面で形式的には制限を強(qiáng)いられていながらも、実質(zhì)的にはかなり自由な服裝ができた。とはいえ、江戸時(shí)代においては、流行現(xiàn)象の規(guī)模は、明治以降とくらべればごく小さなものであった。それは流行というよりもブームと呼んだほうがよさそうである。社會(huì)のほとんどすべての構(gòu)成員を巻き込んで進(jìn)行する継続的な社會(huì)現(xiàn)象としての流行とは、質(zhì)を異にするものであったといわざるを得ない。そもそも流行現(xiàn)象が成立するための基本條件としては、社會(huì)的な流動(dòng)性の可能性が少なくとも理念的、制度的に保証されていることが必要だからである。(5)ところで、身を裝う自由が確立されただけでは、衣生活の発展も流行現(xiàn)象の普及も不可能であった。個(gè)人主義的な、かつ文化的な枠組みの登場(chǎng)が不可欠であった。つまり、個(gè)人のアイデンティティは身體表現(xiàn)を通して具體化される、という意識(shí)が一般化する必要があったのである。個(gè)人のアイデンティティが身分や職業(yè)といった社會(huì)的な枠組みに依存していた時(shí)代には、身を飾る必要はあまりなかった。そうした時(shí)代にあっても、個(gè)人のあいだで差異競(jìng)爭(zhēng)がなかったわけではないが、それは小さな集団の域を超えて広がるものではなかった。そのような社會(huì)(73)においては、流行は全社會(huì)的な現(xiàn)象になることはできない。(6)社會(huì)的な枠組みに依存していた時(shí)代は、心理的にはむしろとても生きやすい時(shí)代だったのではないかと思う。自分で努力しなくても、すでに伝統(tǒng)や習(xí)慣といった出來(lái)合いの規(guī)範(fàn)が用意されていたからである。それは、制服があれば「明日、なにを著たらいいのか」などと迷わなくてもすむのと同じである。(7)(71)ここの()に入れるのにもっとも適當(dāng)なものはどれか。A.抵抗力 B.実行力 C.強(qiáng)制力 D.制御力(72)ここの()に入れるのにもっとも適當(dāng)なものはどれか。A.そこで B.だから C.まして D.ただし(73)「そのような社會(huì)」とあるが、それの指す社會(huì)とは次のどれか。A.人々の拠って立つ基盤(pán)が、身分制度の枠の中で確定している社會(huì)B.身分や職業(yè)などの枠組みの中で、自由な差異競(jìng)爭(zhēng)が許される社會(huì)C.ファッションが一つの文化として、社會(huì)制度的に認(rèn)知された社會(huì)D.個(gè)人のアイデンティティが、服裝により自由に表現(xiàn)でき得る社會(huì)(74)次の文は、(1)~(7)のうちのどこに入れたらよいか。自分を社會(huì)のなかでいかに位置づけるか。衣服の流行には、このように自己の社會(huì)的な位置づけに対する強(qiáng)烈な欲望の存在が必要とされる。(75)「文章5」の內(nèi)容に合致するものはどれか。A.流行現(xiàn)象は、服が寒さを防ぐ基本的役割よりも、流行を気にしデザインを考える人々の出現(xiàn)だけでは生じない。B.流行現(xiàn)象は、個(gè)人のアイデンティティが、身分や職業(yè)といった社會(huì)的な枠組みに依存している社會(huì)では生じない。C.流行現(xiàn)象は、服を形や色や素材で構(gòu)成するゲームだと考える人々にとって、個(gè)性が確立した社會(huì)では生じない。D.流行現(xiàn)象は、社會(huì)的な流動(dòng)性の可能性が制度的に保証され、自己の社會(huì)的位置付けへの意識(shí)が強(qiáng)い時(shí)に生じる?!妒娚接洝方虒W(xué)設(shè)計(jì)一、教學(xué)目標(biāo)(一)認(rèn)識(shí)作者反對(duì)臆斷、重視考察的觀點(diǎn)。(二)了解記敘、說(shuō)明、議論相結(jié)合的寫(xiě)法。二、難點(diǎn)、重點(diǎn)分析實(shí)詞析疑:鼓:①樂(lè)器。例。噌吰如鐘鼓絕。②擊鼓;例:一鼓作氣。③彈秦。例:令趙王鼓瑟。④鼓動(dòng)、掀動(dòng)。例:微風(fēng)鼓浪。是:①是。例:?jiǎn)柦袷呛问馈"谡_。例:辨清是非。③這、這樣。例:是說(shuō)也。所在皆是也。得:①得到、找得。例:得雙石潭上。②能夠。例:因得觀所謂石鐘者。③收獲。例:此余之所得也。遺:①遺留;例:先帝之遺德。訪其遺蹤。②遺失、遺棄。例:得遺金一餅。鳴:①鳥(niǎo)叫。②一切物體發(fā)出聲音。例;雖大風(fēng)浪不能鳴也。函胡:見(jiàn)注釋。清越:見(jiàn)注釋。徐:慢慢的。與”疾”相反。適:往。固:①鞏固。例:固國(guó)不以山溪之險(xiǎn)。②堅(jiān)決。例:相如固止之。③本來(lái)。例:余固笑而不信也。莫:①不要。例:莫用眾人之廣議也。②沒(méi)有誰(shuí)。例:莫不響震失色。③通暮(mù)。例:莫夜月明。磔磔:見(jiàn)注釋。罅:見(jiàn)注釋。當(dāng)①對(duì)、向。例:當(dāng)窗理云鬢。②阻擋。例:豺狼當(dāng)?shù)?。③抵?jǐn)?。例:非劉豫州莫可以?dāng)操者。④在。例:有大石當(dāng)中流。向:①去向。例:聞操已向荊州。②從前、剛才。例:尋向所志。與向之噌吰者相應(yīng)。斤:①重量單位。②斧頭。例:乃以斧斤考擊而求之。三、教學(xué)過(guò)程設(shè)計(jì)(一)導(dǎo)入新課。提問(wèn):這篇就是說(shuō)跟我們剛學(xué)過(guò)的《游褒禪山記》有相同之點(diǎn)嗎?請(qǐng)說(shuō)出主要的。(都有記游的內(nèi)容,都有相當(dāng)多的議論成分,”記”和”議”又都是緊密地結(jié)合在一起的。)指出:能看出這些相同點(diǎn),說(shuō)明同學(xué)們能夠舉一反三,這是閱讀能力提高的一個(gè)標(biāo)志。這兩篇文章還有一些不同點(diǎn),而且是很大的不同。這一點(diǎn)現(xiàn)在先不討論,但同學(xué)們?cè)谡b讀過(guò)程中要認(rèn)真加以領(lǐng)會(huì)?,F(xiàn)在請(qǐng)看”預(yù)習(xí)提示”的第2段。提問(wèn):“未能進(jìn)一步從”形“的方面作全面考察”這句話是對(duì)蘇軾的批評(píng)嗎?(是。)這個(gè)批評(píng)是嚴(yán)了一點(diǎn)?教師作解釋后,進(jìn)一步指出:人們對(duì)事物的認(rèn)識(shí)有一個(gè)過(guò)程,一開(kāi)始不完善是難免的。蘇軾的論斷被人們承認(rèn)八百年之久,這是很了不起的。(二)教師示范背誦全文和學(xué)生齊讀全文。要求學(xué)生在聽(tīng)教師背誦的過(guò)程中給難字注音,并認(rèn)真品味每句話的語(yǔ)氣。教師背誦完畢,出示小黑板,再次正音:蠡(lǐ)枹(fú)鏗(kēng)磔磔(zhézhé)噌吰(chēnghóng)罅(xià)窾坎(kuǎnkǎn)莫(mù)鏜鞳(tāngtà)識(shí)(zhì)無(wú)射(wúyì)指出哪些通假讀的字(莫、識(shí)),哪個(gè)字是古音異讀(射)。正音后學(xué)生齊讀全文。(三)劃分結(jié)構(gòu)的探究主旨。說(shuō)明:本文說(shuō)的是石鐘山命名的來(lái)由,文中的敘事因此而發(fā),言論也因此而發(fā),用的是卒章顯志的寫(xiě)法,全文的結(jié)構(gòu)都是為“顯志”服務(wù)的。作者的“志”即文章的主旨在最后一段說(shuō)得十分明白,首先抓住作者的“志”,全文結(jié)構(gòu)就可以一目了然。據(jù)此,這五項(xiàng)內(nèi)容擬采用“倒析法”,也就是從最后一段著手分析,先探究文章主旨。這種分析是綱要式的,目的是使學(xué)生獲得一個(gè)統(tǒng)率全文的初步概念,然后在誦讀過(guò)程中逐步加深體會(huì)。1.主旨的分析。提問(wèn):先將最后一段讀一遍,從中找出兩句話來(lái)說(shuō)明作者的意圖(“嘆酈元之簡(jiǎn),萬(wàn)而笑李渤之陋”)。從什么地方看出來(lái)的?(①文章開(kāi)頭提的正是這兩個(gè)人關(guān)于石鐘山山名來(lái)由的說(shuō)法,前后對(duì)照,可見(jiàn)作者用心;②這兩句被置于文末,正是“立片言以居要,乃一篇之警策”。)提問(wèn):作者這一“嘆”一“笑”,有什么深刻含義?(酈元是經(jīng)過(guò)實(shí)地考察的,然而“言之不詳”,所以使人有“以鐘磬置水中,雖大風(fēng)浪不能鳴也,而況石乎”之疑,這是可嘆的;李渤“以斧斤考擊而求之”這種做法本身就很可笑,是自欺欺人之談。)提問(wèn):作者依據(jù)這兩件事提出了怎樣的觀點(diǎn)?(反對(duì)臆斷——“事不目見(jiàn)耳聞,而臆斷其有無(wú),可乎”;擔(dān)倡實(shí)地考察——“以小舟夜泊絕壁之下”。)2.結(jié)構(gòu)的分析?,F(xiàn)在再來(lái)看看作者是怎樣依據(jù)這個(gè)主旨給全文作出恰當(dāng)?shù)牟季值摹W(xué)生概括第1段大意。(“對(duì)石鐘山命名緣由的兩種說(shuō)法表示懷疑”。)問(wèn):這是作者的言論,它跟下文敘事有什么關(guān)系?(疑而后察。)作者對(duì)酈說(shuō)用“人常疑之”,對(duì)李說(shuō)則用“余尤疑之”,從這里可以看出什么問(wèn)題來(lái)?(“人常疑之”,我未必疑,或疑參半,不是完全否定,但僅據(jù)文字表面意思,又難以肯定;“余尤疑之”,疑的程度勝過(guò)他人,有否定之意,而又拿不出證據(jù)__可見(jiàn)對(duì)酈、李二說(shuō)的態(tài)度是不相同的。)指出:這是為下文寫(xiě)“察”作鋪墊的。學(xué)生概括第2段大意。(通過(guò)實(shí)地考察證明李說(shuō)純系臆則,而酈說(shuō)是正確的。)問(wèn):這段話中哪些語(yǔ)句是對(duì)上述二說(shuō)的表態(tài)?(對(duì)李說(shuō)——“笑而不信”;對(duì)酈說(shuō)——“古之人不余欺也”。)為什么說(shuō)酈元沒(méi)有欺騙他?(作者發(fā)現(xiàn)聲源有兩處,一是山下石穴罅,一是中流之大石,都是因“水石相搏”而發(fā)聲。)到此可以指出:全文的結(jié)論,即由這里所說(shuō)的事實(shí)導(dǎo)出。3.板書(shū):對(duì)舊說(shuō)質(zhì)疑——實(shí)地考察中所見(jiàn)——結(jié)論(提倡)實(shí)地考察(反對(duì))主觀臆斷說(shuō)明:在分析主旨和結(jié)構(gòu)時(shí),可依次寫(xiě)出,最后用線連結(jié)如圖,不要等到分析完畢再寫(xiě)。(四)誦讀第1段。1.學(xué)生齊讀一遍。2.教師領(lǐng)誦一遍,并作簡(jiǎn)釋、簡(jiǎn)評(píng)。①“《水經(jīng)》云:‘彭蠡之口有石鐘山焉’”——此句秘下名合為第一層,為下文質(zhì)疑張本。按:湖口縣有石鐘山二座:上鐘山在城西,下鐘山在城東。下鐘山即蘇軾作記處。作者引《水經(jīng)》而不釋,筆法何等簡(jiǎn)潔。②“酈元以為……聲如洪鐘”——這是轉(zhuǎn)述酈元的話,“水中相搏”一語(yǔ)耐人尋味.,下文寫(xiě)作者的發(fā)現(xiàn),可謂道貌岸然盡“相搏”之狀,但世人不親臨其境,便無(wú)法想象。由此導(dǎo)出第二層。③“是說(shuō)也……而況石乎”——這是第二層?!耙病弊肿饕活D,以示將有所論。“人常疑”,作者政治性疑,恨無(wú)證耳。“以鐘磬置水中”是“常人”的類比之法?!耙伞敝缮?,亦“不耳聞目見(jiàn)”過(guò)之。④“到唐李渤始訪其遺蹤……于潭上”——敘事何等簡(jiǎn)潔。由此句至段未為第三層。⑤“扣而聆之……余韻徐歇”——作者如此描寫(xiě),頗有譏李之意。李文《辨石鐘山記》今已不可見(jiàn)(《文苑英華》不收,)估計(jì)是作者轉(zhuǎn)述,有意作夸張描寫(xiě)。⑥“自以為得之矣”——他人未必信,一句話寫(xiě)盡俗人情態(tài)。為下文“笑陋”張本。⑦“然是說(shuō)也,余尤疑之”——“余尤疑”三字為一篇之一骨。全文重在“笑李渤之陋”⑧“石之鏗然有聲者——何哉”——駁得有力。(五)誦讀第2段。1.學(xué)生齊讀這一段。2.教師范讀,加簡(jiǎn)釋及評(píng)語(yǔ)。①段首至“因得觀所謂石鐘山”——敘述考察機(jī)會(huì)到來(lái)的緣由,僅14字,何等簡(jiǎn)潔。②“寺僧使小童……笑而不信也”——此即李渤之固智。李文誤人之深,于此可見(jiàn)。“固”,這里應(yīng)訓(xùn)“當(dāng)然”、“本來(lái)”,引申為“自然”之意。作者不寫(xiě)親訪寺僧問(wèn)山名來(lái)由,而直書(shū)小童擇石而叩之,又省卻不少筆墨。③“至莫夜月明……此鸛鶴也”——此數(shù)句寫(xiě)景。問(wèn)學(xué)生:有哪些細(xì)節(jié)?(大石、鶻、鸛鶴。)渲染了怎樣的氣氛?(陰森恐怖。)要求學(xué)生將作者的描寫(xiě)語(yǔ)劃出來(lái)(“如猛獸奇鬼,森然欲博人”、“磔磔云霄間”、“若老人咳且笑于山谷中者”)。④“余方心動(dòng)欲還……如鐘鼓不絕”——妙在“欲還”而未還?!按舐暋蓖蝗缙鋪?lái),伏下文“恐”字?!叭珑姽摹?,點(diǎn)出山名來(lái)由,照應(yīng)開(kāi)頭“聲如洪鐘”。⑤“舟人大恐?!敝廴思取翱帧保髡哐傻貌弧翱帧??但忽悟酈元所云,又繼之以喜,喜而后“察”。前此所有之“疑”頓失。⑥“徐而察之……而為此也”——具體道出“水石相博”之狀。為“嘆酈元之簡(jiǎn)”伏筆,下句亦然。①“舟回至兩山間……如樂(lè)作焉”——又一“水石相搏”之狀。問(wèn)學(xué)生:“噌吰”與“窽坎鏜鞳”有別乎?(前者出自絕壁下,有共鳴,顯得雄渾;后者出自大石中,風(fēng)來(lái)時(shí)則有,一吞一吐,節(jié)奏鮮明。)③“因笑謂邁曰……不余欺也”——作者將長(zhǎng)子邁寫(xiě)入文中,其意在此——邁是他的宏論的第一位聽(tīng)眾。以此結(jié)束考察過(guò)程,恰到好處?!肮胖恕保羔B元。3.學(xué)生討論層次劃分,然后分層練習(xí)背誦。說(shuō)明:這一段是誦讀的難點(diǎn)。為了便于學(xué)生記誦,除了劃出大的層次而外,還可以板書(shū)行文順序。待學(xué)生能基本上背出這一段后,拭去板書(shū),再做檢查。板書(shū)形式如下(括號(hào)中的話可略而不書(shū)):第一層(段首至“此鸛鶴也”)發(fā)現(xiàn)聲源之前訪石鐘山緣由→小重扣石→絕壁下所見(jiàn)所聞:大石、棲鶻、鸛鶴。第二層(“余方心動(dòng)欲還”至段末)發(fā)現(xiàn)聲源石穴罅中的“噌吰”之聲→大石中的“窽坎鏜鞳”之聲→語(yǔ)邁作結(jié)。4.檢查背誦。(六)討論作者對(duì)酈、李二說(shuō)的態(tài)度。問(wèn):酈、李二說(shuō)的不同點(diǎn)是什么?(酈說(shuō)認(rèn)為“水石相搏”而發(fā)聲,李說(shuō)認(rèn)為潭石有聲。)這意味著什么?(李說(shuō)是對(duì)酈說(shuō)的否定。)從寺僧使小童擇石而扣之一事,能看出什么問(wèn)題來(lái)?(說(shuō)明信李說(shuō)者多,俗見(jiàn)之誤人。)問(wèn):從這一段的內(nèi)容來(lái)看,作者對(duì)酈、李二說(shuō)的態(tài)度有什么不同?問(wèn):作者對(duì)李說(shuō)“尤疑”,為什么寫(xiě)小童扣石事僅用一句帶過(guò)?(不值一駁。)試品味這句話的語(yǔ)氣。(輕蔑、譏笑。)本段著重寫(xiě)聲源,有什么作用?(證實(shí)酈說(shuō)。)還有什么作用?(證實(shí)酈說(shuō),正所以批李說(shuō)。)本文不是游記,而是考察記,為什么要渲染絕壁下的陰森恐怖氣氛?(唯其如此,故士大夫不至,而淺人之無(wú)知妄說(shuō)遂行于世。)小結(jié):本段是為破疑案而寫(xiě),作者對(duì)酈說(shuō)是信中有疑(故結(jié)句是“古之人不余欺也”),疑既釋而益信;對(duì)李說(shuō)則是絕對(duì)否定。(七)誦讀第3段。1.學(xué)生練習(xí)誦讀2~4遍。2.教師提問(wèn)。①“事不目見(jiàn)耳聞……可乎”照應(yīng)上文哪一句?(“今以鐘磐……而況石乎”。)是什么辭格?(反問(wèn)。正意是:不目見(jiàn)耳聞而謂“不能鳴”,便是臆斷。)②“殆與余同”的“殆”能換成“蓋”字嗎?(不能。作者只能據(jù)文字推測(cè),而無(wú)法證明,用“蓋”則會(huì)加重肯定的意味。)跟“言之不詳”相照應(yīng)的上下文是哪些詞句?(上文是“水石相搏,聲如洪鐘”;下文是一個(gè)“簡(jiǎn)”字。)③“士大夫終不肯以小舟夜泊絕壁之下”與上文哪些話呼應(yīng)?(“至莫夜月明……此鸛鶴也”。)這句話表現(xiàn)了作者怎樣的思想?(強(qiáng)調(diào)實(shí)地考察,不盲從。)怎樣的情緒?(坡公何嘗不自得?然與李渤有別:李是臆斷,坡公是以事實(shí)為據(jù)。)補(bǔ)充問(wèn):有人說(shuō)這句話中的“夜”字可刪,對(duì)此你有什么看法?(討論此題不必涉及科學(xué)原理,而要著重探究作者的意圖,其實(shí)“不肯”后暗含“如我之”三字,是坡公得意處。)④“而陋者……得其實(shí)”——再次譏評(píng)李渤。上文評(píng)李渤只說(shuō)事實(shí),至此才出現(xiàn)一“陋”字,貶斥之意昭然若揭,何等筆力。⑤“余是以記之……李渤之陋也”——卒章顯志。3.教師領(lǐng)誦。4.檢查背誦。(八)比較、辨析。1.將本文跟(游褒禪山記)作比較。說(shuō)明:先檢查練習(xí)第二題的完成情況,然后做具體分析,不是簡(jiǎn)單地列出異同之點(diǎn),而是從文章的整體構(gòu)思出發(fā),用列表的形式來(lái)進(jìn)行比較。下面是供參考的表的模式:課文項(xiàng)目《游褒禪山記》《石鐘山記》內(nèi)容記游。從游未盡興生發(fā)感受,談人生哲理和治學(xué)態(tài)度。形式是記游,實(shí)際是記考察所得。用事實(shí)破千古疑案,提倡實(shí)地考察,反對(duì)主觀臆斷。結(jié)構(gòu)先記游,后議論。議論——記游——議論。寫(xiě)法敘與議緊密結(jié)合,議論統(tǒng)率敘事,議論重在“立”。敘與議緊密結(jié)合,議論統(tǒng)率敘事;議論有“破”有“立”。2.教師將本文改成一篇說(shuō)明文,學(xué)生聽(tīng)后再進(jìn)行比較。進(jìn)一步認(rèn)識(shí)本文的特點(diǎn)。改寫(xiě)如下:①彭蠡之口有石鐘山焉。②山下皆石穴罅,不知其淺深。③微波入之,涵滔澎湃,④有聲發(fā)于水上,噌吰如鐘鼓不絕。⑤近港口處,有大石當(dāng)中流,可坐百人,空中則多竅,與風(fēng)水相吞吐,發(fā)為窽坎鏜鞳之聲,與噌吰者相應(yīng),如樂(lè)作焉——此山名之所由也。酈元注《水經(jīng)》,但云⑥“水石相搏,聲如洪鐘”,可謂⑦言之不詳。⑧唐李渤得雙石于潭上,扣而聆之,南聲函胡,北音清越,自以為得之,其實(shí)悖矣。說(shuō)明:教師讀的速度要慢一些。讀前告訴學(xué)生,用鉛筆劃出書(shū)上的語(yǔ)句,并標(biāo)上句子的序號(hào)。便于學(xué)生連綴成文。從比較中可以得出如下的結(jié)論:①蘇文的內(nèi)容核心是說(shuō)明性的,跟考察記相近。但作者把考察的內(nèi)容跟記游結(jié)合在一起,不僅寫(xiě)了景物,也寫(xiě)了自己的心態(tài),這就屬于生動(dòng)的說(shuō)明了。由此可見(jiàn),從基本性質(zhì)來(lái)說(shuō),本文文體應(yīng)定為考察記。②作者的考察目的是補(bǔ)酈說(shuō)之不足,破李說(shuō)之陋。由此自然生發(fā)出“提倡實(shí)地考察,反對(duì)主觀臆斷”的議論。③文中的記敘成分只有“元本七年……所謂石鐘者”這一小段,是為了說(shuō)明考察緣由的;描寫(xiě)成分只有“大石側(cè)立……此鸛鶴也”這一小段,是為了說(shuō)明考察之不易的。石鐘山記【目的要求】1.理解作者有疑必察、反對(duì)臆斷、重視實(shí)地考察的精神。2.重點(diǎn)掌握“鼓”、“是”、“遺”、“得”等實(shí)詞的用法??偨Y(jié)“而”的用法和否定句、疑問(wèn)句中代詞作賓語(yǔ)時(shí),賓語(yǔ)前置的規(guī)則。【課文解析】注音釋義1.噌吰如鐘鼓不絕:鼓,《說(shuō)文解字》中“鼓”除了名詞義項(xiàng)即所敲之鼓外,還有動(dòng)詞的義項(xiàng)即以手擊鼓之意,引申為“敲擊”。而“噌吰”課本中的解釋是形容鐘聲宏亮,所以“如鐘鼓不絕”中的鼓應(yīng)為動(dòng)詞,譯為像敲擊鐘的聲音響個(gè)不停。2.鐘磬:(磬,qìng,這里指佛教的打擊樂(lè)器,形狀象缽,用銅制成。)3.臆斷:(臆,yì)僅憑主觀推測(cè)來(lái)斷定。4.夜泊絕壁下:(泊,bó,這里是停船靠岸之意;湖泊,音為pō)5.穴罅:wuéxià(罅,裂隙)6.有大石當(dāng)中流:(當(dāng),dāng)有塊大石頭在水流中間。7.殆與余同:(殆dài,這里是大概之意;百戰(zhàn)不殆,殆的意思為“危險(xiǎn)”。)8.汝識(shí)之乎:(識(shí)zhì,這里結(jié)合上下文的意思,應(yīng)釋為“知道”。)9.長(zhǎng)子邁將赴饒之德興尉:(饒,ráo)(蘇軾的)長(zhǎng)子,蘇邁要到饒州的德興縣去任縣尉。【內(nèi)容主旨】本文記錄了作者考察石鐘山得名的原因的過(guò)程,文中的敘事,議論皆由探尋石鐘山命名的來(lái)由而發(fā),卒章顯志,先得出“事不目見(jiàn)耳聞,而臆斷其有無(wú),可乎”的觀點(diǎn),再用“嘆酈元之簡(jiǎn),而笑李渤之陋”的一嘆,一笑點(diǎn)寫(xiě)自己的寫(xiě)作意圖。全文分三個(gè)部分,第一段,對(duì)石鐘山命名緣由的兩種解釋表示懷疑。第二段解疑,通過(guò)實(shí)地考察去探究石鐘山命名的真實(shí)緣由。屬記敘部分。第三段得出結(jié)論,即事情如果沒(méi)有親眼看見(jiàn),親耳聽(tīng)到就不能憑主觀臆測(cè)去推斷它的有無(wú)。屬議論部分?!緦?xiě)作手法】《石鐘山記》的結(jié)構(gòu)不同于一般的記游性散文那樣,先記游,然后議論,而是先議論,由議論帶出記敘,最后又以議論作結(jié)。作者以“疑──察──結(jié)論”三個(gè)步驟展開(kāi)全文。全文首尾呼應(yīng),邏輯嚴(yán)密,渾然一體。本文第一句就提酈道元的說(shuō)法,提出別人對(duì)此說(shuō)的懷疑,這種懷疑也不是沒(méi)有根據(jù),而是用鐘磬作的實(shí)驗(yàn)為依據(jù)。這就為文章的第二段中作者所見(jiàn)的兩處聲源──石穴罅和大石當(dāng)中流──作鋪墊,從而發(fā)出“古之人不余欺也”的慨嘆。在文章最后又一次慨嘆酈元所說(shuō)雖對(duì),但太簡(jiǎn)單了,讓世人不能真正明白。而對(duì)李渤扣石聆之以此推石鐘山得名原因的作法,作者在第一段就表示“余尤疑之”,第二段中寺僧使小童持斧,扣石,作者對(duì)此種驗(yàn)證方法仍是“笑而不信”。待實(shí)地考察,得出真相之后,在第三段中,作者又回扣前文“笑李渤之陋”。全文由思而行,由感而發(fā),夾敘、夾議,記敘、描寫(xiě)、議論、抒情環(huán)環(huán)相扣,渾然一體,是為因事說(shuō)理的千古明篇?!局攸c(diǎn)語(yǔ)段研讀】第二段:……寺僧使小童持斧,于亂石間擇其一二扣之,硿硿焉,余固笑而不信也。至莫夜月明,獨(dú)與邁乘小舟,至絕壁下。大石側(cè)立千尺,如猛獸奇鬼,森然欲搏人;而山上棲鶻,聞人聲亦驚起,磔磔云霄間;又有若老人咳且笑于山谷中者,或日此鸛鶴也。余方心動(dòng)欲還,而大聲發(fā)于水上,噌吰如鐘鼓不絕。舟人大恐。徐而察之,則山下皆石穴罅,不知其淺深,微波入焉,涵淡澎湃而為此也。舟回至兩山間,有大石當(dāng)中流,可坐百人,空中而多竅,與風(fēng)水相吞吐,有窾坎鏜鞳之聲,與向之噌吰者相應(yīng),如樂(lè)作焉。因笑謂邁曰:“汝識(shí)之乎?噌吰者,周景王之無(wú)射也。窾坎鏜鞳者,魏莊子之歌鐘也。古之人不余欺也!”分析:這段先寫(xiě)作者有機(jī)會(huì)去考察石鐘山名之來(lái)由,非常簡(jiǎn)潔而直接地切入正題──小童擇石而叩之,硿硿焉,“余固笑而不信”。寫(xiě)出李渤之說(shuō)被世人廣泛地接受,而用一個(gè)“固”字表明作者對(duì)這種不動(dòng)腦筋的解釋的輕蔑。(固本意為“本來(lái)”,這里引申為“自然”,“當(dāng)然”。)接著寫(xiě)作者暮夜實(shí)地考察,又先寫(xiě)環(huán)境,描繪出陰森恐怖的氣氛,從而讓人感悟到探求事情的真相是需要有勇氣戰(zhàn)勝自己內(nèi)心的軟弱的,同時(shí)也點(diǎn)明下一段的“士大夫終不肯以小舟夜泊絕壁”的原因。再寫(xiě)心動(dòng)欲還時(shí)有“大聲發(fā)于水上”,舟人大恐,而作者卻一改剛才的膽怯為欣喜──“徐而察之”,再具體寫(xiě)聲音是怎樣發(fā)出來(lái)的,同時(shí)為下文的“嘆酈元之簡(jiǎn)”作伏筆。又用回程中,河中“窾坎鏜鞳”的大石與先前“噌吰”的絕壁下的穴罅作比。區(qū)別兩者的聲音不同之處:絕壁下,水石相搏,有共鳴,聲音雄渾,故曰“噌吰”;大石中,風(fēng)水相吞吐,風(fēng)時(shí)有時(shí)停,水一吞一吐,“窾坎鏜鞳”強(qiáng)調(diào)節(jié)奏鮮明。反復(fù)寫(xiě)聲源,用以證實(shí)酈道元的說(shuō)法,推翻李渤的“謬論”。最后作者欣喜的告訴獨(dú)兒子說(shuō)“古之人不余欺也”。顯然,這里的古之人是指酈道元。此段為破疑而寫(xiě),在釋疑的過(guò)程中證明酈說(shuō),否定李說(shuō)?!窘忸}指導(dǎo)】一、見(jiàn)【內(nèi)容主旨】二、首先從文章的內(nèi)容講兩篇文章都是游記,并且都不重山水風(fēng)物的描繪,而重在因事說(shuō)理?!队伟U山記》從游而未盡興引發(fā)談人生哲理和治學(xué)態(tài)度;《石鐘山記》用事實(shí)破疑問(wèn),提出要重實(shí)地考察,及對(duì)主觀臆斷的觀點(diǎn)。所不同的是《游褒禪山記》的結(jié)構(gòu)是典型的游記體結(jié)構(gòu),先記游,后議論。記游雖簡(jiǎn),但游蹤很清楚,體現(xiàn)了游記文的一般特征;而《石鐘山記》先議論,再記游,后議論。首先對(duì)石鐘山命名緣由的兩種解釋提出質(zhì)疑,然后通過(guò)實(shí)地考察去探疑和解疑,最后在解疑的基礎(chǔ)上得出結(jié)論。在寫(xiě)法上,也有不同?!队伟U山記》的議論重在“立”;而《石鐘山記》的議論是“立”中有“破”。三、鼓:①鼓動(dòng),動(dòng)詞。②擊打,動(dòng)詞。③彈奏,動(dòng)詞。④正確,形容詞。是:①這,代詞。②這樣,代詞。③是,判斷動(dòng)詞。④正確,形容詞。得:①得到,動(dòng)詞。②能夠,動(dòng)詞。③收獲,名詞。④交好,形容詞。遺:①遺留,動(dòng)詞。②送給,讀wèi,動(dòng)詞。③丟棄,動(dòng)詞。④遺失,動(dòng)詞。四、1.古代的人沒(méi)有欺騙我啊!2.城里(的人)都沒(méi)有察覺(jué)到這個(gè)(情況)。3.當(dāng)時(shí)(一般)人不同意。4.我不欺騙你,你不欺騙我。這些句子的動(dòng)詞分別是:欺、覺(jué)、許、詐、虞。賓語(yǔ)是:余、之、爾、我,都是代詞。這些賓語(yǔ)都移到了動(dòng)詞前面。各句中的否定詞是:不、不、莫、無(wú)、無(wú)。(補(bǔ)充,常見(jiàn)的其他否定詞還有:弗、未、否、毋。另外,在疑問(wèn)句中,疑問(wèn)代詞作賓語(yǔ)的也要提賓,疑問(wèn)代詞有“何、誰(shuí)、孰、惡、安、焉、胡、奚、遏。)總結(jié):古漢語(yǔ)否定句,代詞作賓語(yǔ)時(shí),賓語(yǔ)前置。五、1.承接,可以不譯。2.并列,不譯或譯為“又”。3.轉(zhuǎn)折,可是。4.因果,因而。5.前“而”表并列,不譯,后“而”表轉(zhuǎn)折,卻。6.并列,可譯為并且。7.并列,不譯。8.前、后“而”,都表修飾,可譯為“地”;中間“而”表并列,不譯。9.因果,因而。10.假設(shè),如果?!举Y料窗】一、作者簡(jiǎn)介:蘇軾(1037~1101),字子瞻,號(hào)東坡居士,北宋眉山人。是著名的文學(xué)家,唐宋散文八大家之一。他學(xué)識(shí)淵博,多才多藝,在書(shū)法、繪畫(huà)、詩(shī)詞、散文各方面都有很高造詣。他的書(shū)法與蔡襄、黃庭堅(jiān)、米芾合稱“宋四家”;善畫(huà)竹木怪石,其畫(huà)論,書(shū)論也有卓見(jiàn)。是北宋繼歐陽(yáng)修之后的文壇領(lǐng)袖,散文與歐陽(yáng)修齊名;詩(shī)歌與黃庭堅(jiān)齊名;他的詞氣勢(shì)磅礴,風(fēng)格豪放,一改詞的婉約,與南宋辛棄疾并稱“蘇辛”,共為豪放派詞人。二、補(bǔ)充整理文言文基礎(chǔ)知識(shí):①詞類活用:A使動(dòng),例:“雖大風(fēng)浪不能鳴也”。鳴,使之鳴。B名詞做動(dòng)詞:例1.“而此獨(dú)以鐘名”。名,命名。例2.“枹止響騰”。枹,用鼓槌敲擊。C形容詞作名詞:例:“枹止響騰”,響,聲音。D名詞作狀語(yǔ):例:“目見(jiàn)耳聞”。目,用目,耳,用耳。②古今異義:“自以為得其實(shí)”,其實(shí),那事情的真象。③焉的用法:A指示代詞,那里,這里。例:心不在焉。B疑問(wèn)代詞,哪里,怎么。例:1且焉置土石?2不入虎穴,焉得虎子。C兼詞,于之,在哪里。例:不知其淺深微波入焉。D語(yǔ)氣助詞,啊,呀。例:1于是余不嘆焉。2如樂(lè)作焉。E形容詞或副詞詞尾,……的樣子。例:硿硿焉。三、文學(xué)常識(shí):紀(jì)年法:(一)干支紀(jì)年法,干即天干,共十位:甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸;支即地支,共十二位:子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥。一干一支互相結(jié)合以紀(jì)年,六十年一輪。(二)帝王年號(hào)紀(jì)年法:皇帝即位,都要改元,稱元年。漢武帝起有年號(hào),后多用年號(hào)記年。如開(kāi)元,天寶為唐玄宗的年號(hào)。(三)王公年次紀(jì)年法,這種紀(jì)年法多在春秋,戰(zhàn)國(guó)時(shí)代。如趙惠文王十六年,魯孝公三十七年等,以元、二、三等序數(shù)記。(四)星歲紀(jì)年法:星指歲星(木星),歲指太歲。又分歲星紀(jì)年法和太歲紀(jì)年法。歲星紀(jì)年法即根據(jù)歲星在十二星次中的位置紀(jì)年。十二星次名稱自西向東依次為:星紀(jì)、玄枵、諏訾、降婁、大梁、實(shí)沈、鶉首、鶉火、鶉尾、壽星、大火、析木。12年一輪。太歲紀(jì)年方向與歲星紀(jì)年相反,名稱更為繁復(fù)。四、關(guān)于石鐘山的資料:石鐘山位于鄱陽(yáng)湖入長(zhǎng)江之口,屬江西湖口縣。石灰?guī)r質(zhì)。關(guān)于它命名的原因歷來(lái)有三種意見(jiàn),(一)風(fēng)水聲如鐘,認(rèn)為山下縫隙洞穴與“風(fēng)水相吞吐”發(fā)出敲鐘的聲音。北魏酈道元與北宋蘇東坡就是持此說(shuō)。(二)石聲如鐘,由于此山是石灰?guī)r質(zhì),內(nèi)中石鐘乳、石柱、石筍等,用槌敲打,也會(huì)發(fā)音。唐代李渤持此說(shuō)。(三)山形如鐘?!妒娚街尽酚涊d:“上鐘崖與下鐘崖,其下皆有洞,可容數(shù)百人,深不可窮,形如覆鐘?!鼻宕挠衢芯统执苏f(shuō),他在《春在堂筆記》中記著:每冬日水落,則山下有洞門(mén)出焉。入之,其中透漏玲瓏,乳石如天花散漫……洞中寬敞,左右旁道可容千人?!谏乡潯暗し俊倍?,且多小詩(shī),語(yǔ)皆可喜。如云:“我來(lái)醉臥三千年,且喜人世無(wú)人識(shí)?!薄靶№耆瞬蛔R(shí),桃花春漲洞門(mén)關(guān)。”無(wú)年代姓名,不知何人所作。蓋全山皆空,如鐘覆地。故得鐘名。石鐘山記教學(xué)目的1.學(xué)習(xí)“焉”“是”“得”“相”等文言詞語(yǔ)的用法。2.理解掌握文言詞語(yǔ)的古今意義差別,特殊文言句式,文言通假字,文言詞類活用等知識(shí)。3.通過(guò)學(xué)習(xí)本文了解蘇軾散文的特點(diǎn)及其嚴(yán)謹(jǐn)治學(xué)的態(tài)度。教學(xué)重點(diǎn):文言詞語(yǔ)的用法和句式教學(xué)難點(diǎn):蘇軾散文特點(diǎn)及其治學(xué)精神教學(xué)課時(shí):二課時(shí)教學(xué)方法:文言教學(xué)三讀法第一課時(shí)一.教學(xué)導(dǎo)入同學(xué)們,前面我們學(xué)習(xí)了蘇洵、王安石、歐陽(yáng)修等宋代文學(xué)家的散文,對(duì)宋代散文的總體特點(diǎn)已有所了解,今天我們?cè)趯W(xué)習(xí)蘇軾的散文《石鐘山記》,以進(jìn)一步加深對(duì)宋帶散文的理解。二.作者作品與寫(xiě)作背景蘇軾(1037~1101),字子瞻,號(hào)東坡居士,北宋眉山(今四川眉山)人。少時(shí)博通經(jīng)史,20歲中進(jìn)士,官至翰林學(xué)士、知制誥等,政治上反復(fù)升沉,飽經(jīng)憂患,曾因反對(duì)新法而遭貶謫,后又因反對(duì)舊黨盡廢新法而貶至瓊州。蘇軾是全才作家,散文和詩(shī)詞都“雄視百代”;書(shū)法和繪畫(huà)的造詣也很高。其散文平順曉暢;詩(shī)歌自由豪放,明快自然;詞波瀾壯闊,豪放天成。著有《東坡全集》《東坡樂(lè)府》《易傳》《書(shū)傳》《論語(yǔ)說(shuō)》等。與父蘇洵、弟蘇轍并稱“三蘇”,與黃山谷并稱“蘇黃”;與辛棄疾并稱“蘇辛”。本文是元豐七年六月,蘇軾由黃州團(tuán)練副使調(diào)任汝州團(tuán)練副使時(shí)寫(xiě)的,此時(shí)是其政治上失意之時(shí),此前因?qū)懺?shī)諷刺新法被捕入獄,由湖州刺史貶為黃州團(tuán)練副使。三.聽(tīng)朗讀錄音,正音正句讀1.對(duì)下列三組句中劃線的詞語(yǔ)注音、釋義有誤的一項(xiàng)是(1)()A彭蠡(li指鄱陽(yáng)湖)之口有石鐘山焉B今以鐘磬(qing古代用玉或石制成的樂(lè)器)置水中C枹(pao鼓槌)止響騰,余韻徐歇D于亂石間擇其一二扣之,硿硿(kong指聲響)焉(2)()A而山上棲鶻(hu老鷹),聞人聲亦驚起B(yǎng)磔磔(zhe鳥(niǎo)叫聲)云霄間C或曰此鸛鶴(huanhe一種水鳥(niǎo))也D噌吰(cenghong形容聲音洪亮)如鐘鼓不絕(3)()A則山上皆石穴罅(xia裂縫)B有窾坎鏜鞳(tangta鐘鼓聲)之聲C汝識(shí)(zhi通“志”,記?。┲鮀周景王之無(wú)射(she弓箭名)也2.朗讀下列句子,準(zhǔn)確處理好句中停頓。A今以鐘磬置水中,雖大風(fēng)浪不能鳴也,而況石乎。B至唐李渤始訪其遺蹤,得雙石于潭上。C又有若老人咳且笑于山谷中者,或曰此鸛鶴也。D士大夫終不肯以小舟夜泊絕壁之下,故莫能知。E而陋者乃以斧斤考擊而求之,自以為得其實(shí)。四.分析理解第一段(一)補(bǔ)充注釋1.彭蠡之口有石鐘山焉焉:語(yǔ)氣助詞,不翻譯2.微風(fēng)鼓浪鼓:振動(dòng)3.水石相搏搏:拍擊4.南聲函胡函胡:重濁而模糊5.北音清越越:高揚(yáng)6.枹止響騰,余韻徐歇騰:傳播;歇:消失(二)理解下列詞語(yǔ)在句中的意義和用法1.臨A酈元以為下臨深潭B有亭翼然臨于泉上者C臨不測(cè)之淵以為固D蒞臨指導(dǎo)2.是A是說(shuō)也,人常疑之B不知天上宮闕,今夕是何年C覺(jué)今是日昨非D人各是其所是,非其所非3.得A得雙石于潭上B此余之所得也C而余亦悔其隨之而不得極乎游之樂(lè)也D為所識(shí)窮乏者得我歟(三)解釋下列句中活用的詞語(yǔ)1.微風(fēng)鼓浪,水石相搏2.雖大風(fēng)浪不能鳴也3.枹止響騰,余韻徐歇4.而此獨(dú)以鐘名,何哉(四)補(bǔ)出下列句子中省略的成分1.酈元以為下臨深潭2.今以鐘磬置水中3.雖大風(fēng)浪不能鳴也4.扣而聆之5.自以為得之矣(五)朗讀第一段,邊讀邊翻譯。五.分析體會(huì)1.《水經(jīng)》是誰(shuí)的作品?是一部什么書(shū)?答:《水經(jīng)》也叫《水經(jīng)注》,是酈道元的作品,他是記載我國(guó)山川地理概貌的游記。2.酈道元認(rèn)為石鐘山是怎樣命名的?答:以浪打岸石,聲如洪鐘命名。3.李渤認(rèn)為石中山又是因?yàn)槭裁疵??答:以山石敲擊所發(fā)出的聲音像鐘聲而命名。4.作者認(rèn)為李渤的觀點(diǎn)不對(duì),基本理由是什么?采用了什么方法來(lái)反駁?答:石頭大都能敲擊發(fā)出如鐘一般的聲音;這是駁論據(jù)。六.作業(yè):背誦第一段,并把它翻譯成現(xiàn)代散文。七.教學(xué)后記:第二課時(shí)一.背誦復(fù)習(xí)第一段。二.分析理解第二段(一)補(bǔ)充注釋1.余自齊安舟行適臨汝適:到,往2.而長(zhǎng)子邁將赴饒之德興尉赴:赴任,就職3.余固笑而不信也固:姑且4.森然欲搏人森然:陰森森的樣子5.微波入焉焉:兼詞,相當(dāng)于“于之”,在洞和縫里面6.涵淡澎湃而為此也涵淡:水波動(dòng)蕩7.因笑謂邁曰
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